フランシス・ベーコンの帰納法に対して、ルネ・デカルトは演繹法を提案しました。近代哲学の父と言われるデカルトの名言「我思う故に我あり」とはどういう意味でしょうか?
「素人がわかりやすく解説してみた」シリーズのリンク集は以下の記事になります。
経験は信用できない

フランシス・ベーコンは経験を重視し、目で見たり耳で聞いたりすることで自然を理解しようとしました。これは私たちにも理解しやすいと思います。
一方でルネ・デカルトはこう言いました。「経験は信用できない」と。
よくよく考えてみると、確かに私たちの経験は当てにならないです。
例えばある夫婦がいたとします。奥さんが髪を切って帰ってきた時、夫はそのことに気づかないということがあります。夫は毎日奥さんを見ているはずですが、実際はよく見ていないのです。これは匂いにも当てはまります。犬は人間よりも嗅覚が鋭いですよね。人間はこの世界の匂いについて、ほんの一部分しか嗅ぐことができていないのです。同じことが聴覚にも当てはまります。
この例を見ても分かる通り、人間の経験や感覚はとても限られており、また間違いやすいものです。
ルネ・デカルトはそのような信用できない経験から導き出された真理もまた信用できないと考えました。
確かにその通りだと思いますが、それではどうすれば真理を見出すことができるのでしょうか?
方法的懐疑-我思うゆえに我あり-

彼は方法的懐疑という手法を用いることで真理を見出そうとしました。
方法的懐疑とは、あらゆる経験を徹底的に疑っていき、最終的にどうしても疑いきれないものを真理と認めようというものです。とても興味深い方法ですよね。
彼は目で見えるもの耳で聞こえるもの全てを疑っていきます。今目の前で見えているものは全て幻かもしれない。耳で聞こえているものは幻聴かもしれない。そもそも今この瞬間私は夢を見ているだけなのかもしれない。
そのようにあらゆるものを疑っていった先に、一つだけどうしても疑うことができないものと出会います。
それはあらゆるものを疑っている私自身は間違いなく存在しているということです。
ここでいう私とは私の体のことではありません。ここでいう私とは私の心のことを言います。
あらゆるものを疑っているのは私の体ではなく私の心ですからね。
そしてこの名言が出てきます。「我思うゆえに我あり」。
今あらゆるものを疑っている私の心は間違いなく存在しているということです。
ルネ・デカルトは人間の経験や感覚という不確かなものに頼らず、人間の思考を用いて考えを巡らすことで一つの絶対的な真理に到達することができたのです。
演繹法-真理を明らかにする方法

ルネ・デカルトは真理を明らかにする方法として、演繹法を提案します。
これは帰納法と同様に現代科学でも用いられている手法です。
演繹法はある絶対的な真理を用いて次の真理を導き出すという手法です。
例えば三角形の内角の和が180度であるという絶対的な真理があるとします。この真理を用いると四角形の内角の和が360度であるということを証明することができます。三角形の内角の和が180度であるということが真理であるならば、そこから導き出された四角形の内角の和が360度であるということも真理である。という考え方です。
あなたはこの考え方をどう思いますか?
実は演繹法にも欠点があります。
それは、三角形の内角の和が180度であることが真理であるということを証明する方法がないということです。演繹法を用いるためにはその出発点となるような絶対的真理が必要なのですが、それを見つけることがほぼ不可能であるということです。
ルネ・デカルトは「我思うゆえに我あり」ということで、考えている私の心は確かに存在しているという真理にたどり着きました。よって私の心が存在するという真理から、様々な真理を証明していく必要があるのですが、これはほぼ不可能とも言える大仕事になります。
演繹法は人間や世界を理解するのに役立つ方法ですが、これだけでは上手くいきません。
フランシス・ベーコンが提案した帰納法とルネ・デカルトが提案した演繹法のメリット・デメリットを理解し、上手に使い分けていく必要があるのですね。
現代科学は帰納法と演繹法を用いることで発展してきましたが、そのどちらにも欠点があります。
我々は科学を絶対視しがちで、科学的に証明されたのであれば正しいはずだと考える傾向があります。ですが実際は科学にも欠点があるのです。科学が絶対的に正しいと考えることはやめておきましょう。
体と心は別々のものである-心身二元論-

ルネ・デカルトはまた、体と心は別々のものであるという心身二元論を唱えました。
ルネ・デカルトは、方法的懐疑という手法を用いることで「考えている私の心」の存在を証明しました。ですが私の体が存在することは証明できませんでした。
あなたはこの心身二元論についてどう思いますか?私はこの考え方は間違っていると思います。あなたは体調が悪い時、心も元気がなくなるということはありませんか?また笑顔でいる時、心も元気になるということはありませんか?このように心と体は互いに影響し合っていて、それぞれを明確に分離することはできないと思います。
この心身二元論という考え方はその後も様々な哲学者によって議論されることとなりました。