動乱の時代を生きたエピクロスは、心の平安を求めて独自の思想を展開しました。変化の激しい現代を生きる私たちにも役立つ知識が盛りだくさんです。
「素人がわかりやすく解説してみた」シリーズのリンク集は以下の記事になります。
エピクロスの生きた時代-不安-

今から約2000年ほど前の古代ギリシャは変化の時代を迎えていました。外国の国々と交流が盛んになったのです。
古代ギリシャの国の中で住み慣れた生活をしていた人々は、外国との交流が始まると不安になります。あなたも経験があるのではないでしょうか?例えば小学校から中学校に上がる時、もしくは田舎から都会に引っ越した時など、居心地の良かった環境から見知らぬ環境に変わった時って誰でも不安になりますよね。
そんな時に現れたのがエピクロスでした。
エピクロスの名言で「隠れて生きよ」というものがあります。
エピクロスは「エピクロスの園」という自分たちだけの村を作って暮らしました。エピクロスの思想に共感する人々だけで生活し、社会との交流を遮断したのです。
現代を生きる私たちも変化の激しい時代を生きています。私自身も心の平安を求めて家の中に引きこもりたいと感じることもあります。エピクロスの思想は現代を生きる私たちにも参考になる思想です。
快楽主義-心の平安こそが最高の幸福である-

エピクロスは心の平安こそが最高の幸福であると考えました。これを快楽主義といいます。
ここでいう快楽とは食欲・性欲・睡眠欲などの一時的な快楽ではなく、心の平安という長期的な快楽を指しています。
実際エピクロスは非常に質素な生活をしたといわれています。
あなたはエピクロスの思想についてどう思いますか?
私自身はエピクロスと考え方が似ているなと感じています。私は欲しいものもあまりなく、贅沢な食事をしたいとも思いません。それよりも不安や恐怖を感じることなく毎日を過ごせるほうが幸せだと感じます。
もちろんエピクロスの思想が絶対的に正しいというつもりはありません。不安を感じない、安定している、ということは裏を返すととても退屈です。
不安の中で生きることで刺激を感じたいという人もいるでしょう。不安の中で生きることで人は成長することが出来ることも事実だと思います。高く飛ぶためには一度大きくしゃがむ必要がある。つまり成長していくためには不安な状態を作り出す必要があるからです。
ただ、この時代の古代ギリシャは社会の変化が激しすぎたので、不安や刺激よりも安定を求める人が多かったのかもしれないですね。
足るを知れ

エピクロスは「足るを知れ」という名言も残しています。
エピクロスは質素な生活をしていましたが、それでも自分は満ち足りていると感じなさいということです。
私はこの考え方が大好きです。自分に何かが足りないと考えることはよくあることです。お金が足りない、時間が足りない、能力が足りない、など考え出すと切りがありません。ではどれだけあれば足りていると感じることが出来ますか?お金は100万円必要ですか?1000万円必要ですか?時間は1時間必要ですか?1日必要ですか?
人はあればあるだけ欲しがります。どこまで手に入れても満足することが出来ない可能性があります。自分の現状に満足して感謝すること。そのことが心の平安を作り、幸せに生きることが出来るのではないでしょうか?
しかしながら足りないと感じる気持ちは、時に行動の原動力になることがあります。お金が足りないと感じているから一生懸命お金を稼ごうとします。時間が足りていないと感じるから隙間時間を有効に使おうとします。能力が足りていないと感じるから一生懸命勉強しようとします。
心の平安を取るか、心の原動力を取るか、その時々の状況に応じて考え方を変える柔軟性も必要かもしれませんね。
死の恐怖を克服する

死の恐怖は心の平安を妨げる、とエピクロスは考えました。
「私たちが生きている時、死というものは存在していない。私たちが死んだ後、私たちは生きていない」と主張しています。
つまり、死んだ後は自分というものは既に存在しないので、考えても無駄ということですね。
私はこの考え方も大好きです。
自分が死ぬときのことを考えると不安になります。死んだ後どうなるのかな?と考えてしまいます。
ただ死んだ後のことはだれにもわかりません。
死んだ後に生まれ変わるとか、死んだ後に天国に行けるとか、そのように考えることで心の平安を得られる場合もあります。
ただ実際のところは誰にもわかりません。
分からないのなら、今生きている時間を大切に生きるべきではないでしょうか。エピクロスの残した思想は時代を超えて私たちに役立つ知識を提供してくれていると思います。