個性が失われた時代において、キルケゴールは個人の主体性を重要視する思想を唱えました。実存主義について学びましょう。
「素人がわかりやすく解説してみた」シリーズのリンク集は以下の記事になります。
個性が失われた時代

キルケゴールが活躍したのは今から100−200年ほど前の時代でした。
この時代は新聞などのマスメディアの発達により人々に大量の情報が素早く行き渡るようになりました。
また資本主義が発達し、人々が商品を沢山作ってお金稼ぎをすることを目的として生きていました。
この状況は現代でも当てはまりますね。インターネット・テレビ・新聞などで日々大量の情報を浴び続けていると、一つ一つの情報に対して主体的に自分の頭で考えることが出来なくなってしまいます。「ニュースで言っていることは正しい」、「専門家が言っていることは正しい」という具合に皆が受け身の姿勢になった結果、全ての人が同じような考えを持つようになったのです。
また資本主義社会にあって人々は製品をつくるための1歯車になりました。いくらでも代えの効く存在となったのです。
個人は大勢の中に紛れてしまい見分けがつかなくなりました。
自分がいなくなっても世界は変わらない、自分の代えはいくらでもいるという思いから生きる情熱を失っていったのです。
キルケゴールはこの状況を「死にいたる病」であると批判しました。
実存主義-個性を大切に-

実存主義とは、簡単に言うと「個性を大切にしよう」ということです。
「人間とはこういうものだ」、「人間とはこうあるべきだ」というような誰にでも当てはまる一般的な哲学ではありません。
本来人は一人一人がかけがえのない存在であり、独自の個性を持っているはずです。
そのような個性を大切にすべきであると説いたのです。
人が個性を発揮して生きるためには、一人一人が自分の生き方を発見する必要があると考えました。
人は自分の願った通りの自分になることができる。
私は実存主義の考え方が大好きです。
キルケゴールの有神論的実存主義-個性が成立するまでの過程

キルケゴールは今から200年ほど前のデンマークの哲学者です。
キルケゴールの唱えた実存主義は神様の存在を前提としたものであったため、有神論的実存主義と呼ばれました。
キルケゴールによると、人が自分の生き方を発見するまでには3つの段階があると考えました。
1段階目は美的実存と呼ばれるもので、「あれも、これも」と自身の快楽を追求する段階です。食欲・性欲・睡眠欲などの欲求に任せ、ただひたすら自身の欲望を満たしていきます。自分の欲望を満たし続けると次第に快楽を感じ辛くなるものです。最終的には欲望を満たすことに飽きてしまいます。
2段階目は倫理的実存と呼ばれるもので、「あれか、これか」と自分の良心に従って行動する段階になります。個人は自分のやるべきことを見つけ、一生懸命頑張ります。やるべきことは、例えば勉強や仕事でしょうか。もちろん人によって違うと思います。ただ人間には限界があり、どれだけ頑張っても自分のやるべきことを達成出来ないことが出てきます。
そこで人は絶望し、次の3段階目に入っていきます。
3段階目は宗教的実存で、宗教を信仰することで絶望からの救済を得ます。この段階までくると個人は自分の個性を発見し、かけがえのない存在になることができるのです。
あなたはキルケゴールの主張についてどう思いますか?
あなたが個性を自覚した瞬間はどんな時でしょうか?
私自身の過去を思い返すと、キルケゴールの言った通りに3段階のステップを経験したような気がします、1段階目は多くの方が経験すると思います。2段階目は勉強やスポーツで目標を掲げ、1人で辛い思いをしながら一生懸命努力している時だったのかなと思います。なかなかうまくいかない自分に絶望することがありました。そんな時に宗教の教え、神様の教えに助けられた記憶もあります。これが3段階目でしょうか。
日本人は宗教にあまり馴染みがないので、2段階目までは納得できたとしても3段階目は納得できないかもしれません。
ヤスパースの有神論的実存主義-個性が成立するまでの過程-

ヤスパースは今から100年ほど前のドイツの哲学者であり、キルケゴールと同様に有神論的実存主義を唱えた哲学者でした。
基本的にはキルケゴールと同様の考え方を持っていますが、キルケゴールのいう3段階目のところが少し違います。
人は2段階目で自分の目標を達成することができず、絶望します。しかし人は目標が達成できなかったからといって死ぬわけではありません。
その後3段階目に入るのですが、人は生き続けます。生きていると自然に目標が達成されたり、もしくは別の道を見つけて知らないうちに立ち直れたりすることがあります。それは神様のおかげだとヤスパースは考えました。
あなたもそのような経験がありませんか?
キルケゴールとヤスパースの考え方は若干違いますが、いずれも第3段階で神様が私たちを助けてくれる点は同じです。神様の助けにより、私たちの個性が完成すると考えました。
孤独

キルケゴールやヤスパースの目指した個性の確立は、結果として一人一人を孤独にします。
人は共感を求める生物なので、一人一人が異なる個性を持っている場合は本心から共感することができなくなるからです。
キルケゴールは、神が個人のそばにいてくれるから孤独ではないと考えました。
ヤスパースは、個性を守りながらも人と交わることを「愛し合いながらの戦い」と考えました。
キルケゴールやヤスパースの考え方に賛成するかどうかはあなた自身が選択すれば良いと思います。
個性を捨てて皆と仲良く共感するか、それとも個性を追求して孤独になるか。もしかしたらその中間もあるかもしれません。いずれにしてもそれをあなたが主体的に選択したならば、それはあなたの個性と言えるのではないでしょうか?