【実存主義】サルトルの哲学【人間は自由の刑に処せられている】

哲学

あなたは自由を好ましいものと考えますか?自分の生き方を自由に決めることが出来るのは良いことですが、その結果がどうなろうと自分の責任になります。自由には必ず責任が伴うものです。人間は自由の刑に処せられていると唱えたサルトルの思想を見てみましょう。

「素人がわかりやすく解説してみた」シリーズのリンク集は以下の記事になります。

自由と責任

サルトルは今から50年ほど前のフランスの哲学者です。

サルトルはキルケゴールやハイデガーと同様に実存主義者です。

キルケゴールやハイデガーが主張したように、人間は自分の人生を自由に作り上げていくことができると考えました。

つまり「人間はこうあるべきだ」という一般化したものはなく、一人一人が自分という人間を自由に決めて良いという考えを持っています。

この考え方はとても良いですよね。人は自分の願った通りの自分になることができる。私は実存主義の考え方が大好きです。
しかしながら自由には責任が伴います。

責任とは、自分が自分の人生に責任を持つという意味です。

人間は自分の人生を自由に作り上げることができますが、自分の願っていた結果が得られなかった場合でも他人に文句を言ってはいけません。

結果がどうであれ、自分の人生には自分が責任を取らなければならないのです。

自由の刑

人は新しい自分に変わる時は不安に襲われます。

人は心のどこかで常に安定を求めている生物だからです。

自分の人生を作り上げていくためにはそのような不安に耐え、誰にも文句を言わずに未来を選び取っていかなければなりません。その過程はきっと辛いものでしょう。
自由と引き換えに責任や不安を背負わなければならない。

これをサルトルは「自由の刑」と言いました。

確かに自分の人生を他人が決めてくれると楽ですよね。うまくいかなかった時は他人に文句を言うことができます。

自分の人生を自由に決めることは一見良く見えますが、辛い一面もあるということです。

社会を自由に作り上げる

人は他者と共存して生きています。そして人々の中に埋もれ個性を失っていきます。

個人が個性を取り戻し、自分の人生を作っていくためには、他人と関わらないほうが良いのでしょうか?

サルトルはこのように考えました。

人は敢えて社会の中に入り、他人と交わるという自由を持つことができる。

その中で社会を作り変えていくことができると考えたのです。

重要な点は、敢えて社会に入っていくという点です。

ただ社会の中に埋没することは個性を失うことにつながりますが、自らの選択により社会の中に入り他人と交わりながら社会を作り変えていくことが現実的な自由だと考えました。
いかがでしょうか?

人は他者と関わりながら生きています。

サルトルの実存主義は現実的に実践しやすい教えではないでしょうか?

自由と責任を自覚し、社会の中で自己実現を行っていく。

社会の中で個性を失いそうになった時、サルトルの思想を思い出してみてはいかがでしょうか?

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