今から約300年前、国家はどうあるべきかについて考えた3名の哲学者がいました。ホッブズは現実的な考えを持っており、ルソーは理想的な考えを持っていました。そしてロックの考えはその中間にあるイメージです。
現在の日本を含む多くの国々ではロックの考え方が採用されています。やはり真ん中の考え方が一番好まれやすいのかもしれないですね。
「素人がわかりやすく解説してみた」シリーズのリンク集は以下の記事になります。
ホッブズ-国家は国王が治めるべきである

普段の生活ではあまり意識していないかもしれませんが、私たちは法律やルールに縛られて生活しています。家のルール、学校のルール、会社のルール、社会のルールなどです。もしもそれらのルールが全てなくなったとしたらどうなると思いますか?皆が自由になんでもできるとしたら。
ホッブズは今から400年ほど前のイギリスの哲学者です。彼は「万人の万人による戦い」が始まると考えました。
私たちはそれぞれ自分のことしか考えていません。私は今日何を食べるか、私は今日何をするか、私は今日何時に寝るか、などなどです。そんな私たちが完全な自由を手に入れた場合、それぞれが自分の利益を最優先し、他人のことなど考えずに好き勝手することで、人々が争い合うことになると考えたのです。
力の強い少数の人はそのような社会を望むかもしれませんが、大多数の人々にとってそんな社会は嫌ですよね。
ホッブズは国王が国家を治めるべきであると考えました。ただの国王ではなく強い国王です。
因みにホッブズは、リヴァイアサンのように強い国王が望ましいといいました。リヴァイアサンとは旧約聖書に出てくる怪物の名前です。国民は国王に絶対服従する代わりに国王は国民を統治してくれます。
ホッブズの考える国家について、あなたはどう思いますか?人々が自分のことしか考えていないというホッブズの指摘は的を得ていると思います。ただし国王に絶対服従するのは嫌ですよね。せっかく自由になったのに、争いが嫌だからといってまた国王に支配されるなんてまっぴらです。
また人々が完全に自由になったとして、「万人の万人による戦い」が始まるでしょうか?
確かに争いが増えることは間違いないと思います。ただし人を攻撃すると敵を増やしてしまい、逆に反撃されるリスクが増えるのです。皆自分が攻撃されるのは嫌ですよね。皆が自由になれば「万人の万人による戦い」が始まるというのは少し単純すぎる気がします。いずれにしてもホッブズの考える国家は現代の主流にはなりませんでした。
ロック-国家は国会や政府が治めるべきである(現代の諸国家で採用)

ロックも今から400年ほど前のイギリスの哲学者です。彼の考える国家はバランスが良かったので、現代の日本を始めとする世界中の国々で採用されています。
もしも全てのルールがなくなって皆が自由になった時、社会はどうなるでしょうか?
ロックはこのように考えました。
人々は自分の利益を優先して行動するが、同時に他人の生命や利益を傷つけてはならないと考えることができる。よって、ホッブズが考えたような争いが起こることはないと考えたのです。
ただし一部の人が他人を傷つける可能性があるので、その一部の人を取り締まるためにも、国会や政府が必要であると考えました。国民は、法律を作る権利を国会に、法律を執行する権利を政府に預けるという契約を結びます。その代わり国会や政府は法律やルールを用いて争いが起らないように統治するのです。もしも国会や政府が過剰な法律やルールを作って国民に悪影響を与えたならば、国民は国会や政府に抵抗する権利が与えられています。
あなたはロックの考えについてどう思いますか。
ロックの考え方は結構いい感じなので、現代の日本を始めとする諸外国で採用されています。
ただし現代の政府をあなたは良いと感じていますか?政治家が国民から集めたお金を私的に利用したり、特定の企業に有利な法律やルールを執行したりと悪いニュースが連日のように流れていますよね。元々国民皆で作った国会や政府であるにもかかわらず、その中に悪徳や不平等が蔓延してしまう結果となっています。ロックの考えた国家にもやはり限界があるのですね。
ルソー-国家は全国民が治めるべきである

ルソーは今から300年ほど前のフランスの思想家です。彼はこれまで紹介した哲学者の中で最も理想を思い描いた哲学者でした。
もしも全てのルールがなくなって全員が自由になった時、社会はどうなるでしょうか?
ルソーはこのように考えました。
人々は自分の利益ではなく、公共の利益という社会全体の利益を優先することができる。よって人々が自分の利益を優先した争いが起こることもないので、国王、国会、政府など国民を統治するものは必要ないと考えたのです。よって国民一人一人が国家を統治することになります。
ルソーの考え方は理想的で素晴らしいですが、やはり現実とはかけ離れています。
確かに国民は社会全体の利益を考えることができるかもしれませんが、やはり自分の利益を優先して行動するのではないでしょうか?また国民一人一人が国家を統治することは物理的に不可能です。何か大切なことを決めるとき、毎回全国民が一つの場所に集まって議論するなど不可能ですよね。
ルソーの考えは現実離れしていたため、採用されることはありませんでした。しかしながら理想を思い描き、国家はこうあるべきだ。と考えるのはとても大切なことです。ルソーが思い描いた国家、国民一人一人が公共の利益を優先し、争いのない国家がいつの日か実現することを願っています。