【素人が解説】ベンサムとミルの功利主義【多数決は正しい?】

哲学

今から約200年前のイギリスにおいて、ベンサムとミルという2名の哲学者がいました。彼らは、人々の幸福を実現するためにはどのような社会が望ましいかについて考えました。ベンサムの思想は現代の多数決にも反映されています。ミルの思想は実現が難しいものですが、今後多数決をより良いものにしていくために必要な思想です。

「素人がわかりやすく解説してみた」シリーズのリンク集は以下の記事になります。

個人の幸せとは?社会はどうあるべきか?

ベンサムとミルは今から200年ほど前のイギリスの哲学者です。

イギリスでは資本主義が発展し、社会が大きく変わっていく時代でした。そんな時代に、個人の幸せとは何か?個人の幸せを実現するためにはどのような社会を実現すれば良いか?についての問いが生まれてきました。

現代を生きる私たちも資本主義社会を生きています。工場で機械を使ってものづくりを行い、お金を稼いでいる人も多いでしょう。

あなたは幸せですか?私は会社の歯車として働いており、自分の代わりは幾らでもいる。私はただ機械の整備をしているだけだ。などなど、個人としての幸福が分かり辛くなっている人も多いのではないでしょうか?

そんな資本主義社会において、個人の幸福とは何か?個人の幸福を実現するにはどのような社会が望ましいか?を考える哲学者が現れ、功利主義という思想が現れてきました。

功利主義とは人々が幸福を感じる行いが正しい行いであると考える思想です。

次回カントという哲学者を紹介しますが、彼は人々が幸福になるという結果ではなく、人々を幸福にしたいという動機が大切だと説きました。功利主義はこれとは真逆の思想になります。

例えば誰かの幸せを願ってボランティアをし、結果的に誰かを傷つけることになったとします。カントは結果ではなく動機を重視したので、結果的に誰かを傷つけたとしても誰かの幸せを願って始めた行為であれば正しい行いであると考えます。

一方功利主義の思想では、結果的に誰かを傷つけたのであればそれは悪い行いであると考えます。

今回は功利主義を提唱した代表的な哲学者であるベンサムとミルの思想を見てみましょう。

ベンサムの功利主義

ベンサムは個人が幸福になるためには、食欲・性欲・睡眠欲などの欲求を満たしてあげれば良いと考えました。そしてできるだけ多くの人が幸福になる社会が望ましいと考えました。この考え方を「最大多数の最大幸福」と言います。

人々は自分の食欲・性欲・睡眠欲を満たすことを第1に考えます。そんな人々が集まり多数決を行います。一番多くの票を獲得した施策を行っていけば、その分多くの人たちが幸福になれるということです。

ベンサムの考え方は単純でわかりやすいですよね。

彼の考え方に従うと、多数決をしておけば多くの人が幸せになれるということになります。現代の日本社会では選挙という多数決を行い、多くの票を獲得した政治家が政治を行いますよね。ベンサムの考え方は現代の日本社会にも浸透している考え方です。

ところであなたはベンサムの考え方についてどう思いますか?

ベンサムの考え方はわかりやすいですが、欠点もあります。

それは個人の幸福についてです。個人の幸福が食欲・性欲・睡眠欲だけだと考えるのは単純すぎではないでしょうか?確かに私たちは美味しいものを食べると幸せを感じますが、それ以外にも精神的な幸福などがあるはずです。

ミルの功利主義

ミルは個人の精神的な幸福を重視しました。

人は自分の欲求を満たすだけでなく、他人のために尽くすことで幸せを感じることがあります。キリスト教では「自分がしてもらって嬉しいことを人にしてあげなさい」という考え方がありますが、人は他人の利益を願って行動することもできます。

ミルの考え方は正しいと思いますが、これを実際の社会で実現するのは難しいです。

ベンサムの考えたように、個人が自分の幸福だけを願うのであれば、多数決で一人一票の投票権を持つことは理にかなっています。一方でミルが考えたように、個人が他人の幸福も考えるのであれば、本当に一人一票でいいのか?という疑問が生まれます。ミルの考え方が正しいのであれば、自分だけでなく他人の幸福も考えている人は多くの投票権を持つべきではないでしょうか?

また多数決では個性が埋没してしまうという問題もあります。他人とは違う個性を持った人の意見は少数派の意見になりがちだからです。ですが新たな時代を切り開くためには、そのような個性を持った人の新しい意見が必要ではないでしょうか?人は基本的に変化を恐れる生物ですので、多数決ばかりしていると社会の進歩はありません。

欲求を満たすことが個人の幸福であると単純化したベンサムの思想と、彼の考え方をベースにした多数決は限界にきていると言われています。ミルが考えたように個人の精神的な幸福も考慮した上で、多数決についても考え直す必要があるのかもしれません。

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